レゲエニュース CH7(チャンネル7)

2004年から2007年まで、レッドホットなレゲエニュースをピックアップしていたch7。

Vol.022-027
「What is Jah Cure longing for?」




Jailから塀の外にいる最愛の彼女に向けて唄った曲"Longing For"がジャマイカでロングランヒット中の獄中シンガー、Jah Cure。2004年暮れに行われたStingのために一日のみの仮出所が認められて、ステージに上がるのではないかと真しやかに囁かれていたにも関わらず、このラスタファリアンは結局姿を見せる事はなかった。

ジャマイカのアーティストで銃の不法所持やらガンジャの不法所持やら暴力事件やらレイプやらで逮捕される話はよく聞くが、Jah Cureもこの例のご多分にもれず、1999年に銃を用いたレイプの罪で捕まり15年の服役を言い渡された。ただ彼の場合は逮捕に至るまでの警察とのやりとりに多くの疑問点があり、彼自身これを冤罪だとして一貫して無実を主張し続けている。

ジャマイカに一度でも足を運んでいる方なら御存じだと思うが、向こうの警察の中には(日本もそうだけれど)Antony Bが歌で唄っているような金で買収されたり、当局の権利を駆使してmake moneyを試みる"Bad Cop"が少なからずおり、判決を言い渡した司法当局にもあまり信用がおけないから、Jah Cureの判決にも「?」がつくというのが僕の正直な気持ちだ。

ただ、あんまり情緒的になると「バビロンのバカヤロー、Jah Cureを早く出所させろコノヤロー!」と声高に叫んでしまいそうなので、この場を借りて、なぜJah Cureが刑務所に服役せざるをえない状況に陥ったのか、事件のあらましに関してなるべく客観的に記してみたい。なるべく、ね。

1998年11月16日、イギリスから来た友人たちを連れてモンテゴベイに車で遊びに来た彼は、道中にPoliceに呼び止められ停車し、車から降りるように指示された。policeは運転免許証と車の登録証をチェックし、車内にガンジャや銃がないか探したが何も不審なものが出てこなかった。Cureが「もう行っていいか?」と尋ねると逆に次のような質問を彼に投げかけた。「先週この近所でレイプ事件が発生したんだが、お前このあたりにいなかったか?」 Cureはもちろん否定したのだが、policeは彼の言葉を信用せずにその場に留まらせ、Policeと親しい地元の人間を何人か呼び、尋ねた。「(レイプをやったのは)こいつか?」そして、その中にいた被害者らしき若い女の子が今度はなぜかPoliceに聞いた。「この男が犯人なの?」。

被害に遭い精神的にも肉体的にも蹂躙されたこの女の子は恐怖のあまり犯人の顔を朧げにしか覚えていなかった。彼のルーディーな雰囲気も彼女の思い描く犯人像とマッチしてしまったのかもしれない。法の番人であるPoliceが疑いの目を向ける通りかかりのラスタファリアンCureに対して、「そういえばこんな顔の男だったんじゃないか?」と考え始めてきた。そして、「この子と会った事は一度もない。今初めて会った」と一途に訴え続ける彼をpoliceは拘束し、警察署に連行した。

連行後、CureはすぐにBeres Hammondに電話をかけるが具体的な説明をする間もなく警察官に受話器を取られ、「Barnett Streetの14番地だ!(*注 Cureがぶちこまれている警察署と違う住所を伝えたようだ)」と一方的に嘘をいい放たれ、電話も切られてしまう。車にあった所持品はすべて没収され、勾留生活も一週間を過ぎた頃、この事件の大きな転機が訪れる。新しいpoliceが彼の元に訪れ、彼を拘束したPoliceにむかって「彼を長い間勾留することはできないし、犯人であると決めつける事はできない」と伝えたのだ。

「彼を長い間勾留することはできないし、犯人であると決めつける事はできない」と伝えたのだ。 この時点で解放されるはずなのだが、なぜか彼を拘束したPoliceと被害者の女性の証言から、Cureと被害者の関係は、事件以前にステージで歌った時から顔を知っていた事になってしまったのだ。(Cureの言い分は、これは彼に罪を負わせるためのでっち上げの情報であり、拘束したPoliceと被害者家族が公人と私人という枠組みを超えてかなり親しく話しているのを何度も目の当たりにした結果、Policeと被害女性の母とは男と女の関係なのではないかという疑問すら持っているという)

結局、2万ジャマイカドルの保釈金が決定し、一時的に解放されたCureはステージに上がるためジャマイカやトリニダード、バミューダを転々とする。そんなある日、裁判所に出廷した彼は被害女性の母と会い、早く刑務所に入る事を促された。もちろん、Cureは無実を主張し続けていたし、その弁護をするLawyerも雇ってはいたのだが、Cure曰く、「原告をサポートする検事ではないかと思うような弁護しかできないlawyer」だった。

Cure曰く、「原告をサポートする検事ではないかと思うような弁護しかできないlawyer」だった。相当uselessな弁護士であったようだ。さらに日本では信じられないような話が続く。再び裁判所に出廷する日、そのlawyerの家をCureが尋ねると、なかなか家から出てくる気配がない。寝ているのではないかと思い、窓ガラスに石を投げ付けて必死で起こそうと試みたのだが、結局出てこなく、この弁護士はなんと裁判にも遅刻してきたのだ。その結果、Cureは裁判官からレイプと銃の不法所持で15年の罪を言い渡された。1999年4月15日のことだ。いくら無実を主張しようとも、そこにJusticeはなかったし、法の力も無力だった、とCureは後に語っている。

2005年1月現在、彼はいまだにスパニッシュタウンにある刑務所に服役中だ。年前に起きたこの事件はJah Cureから自由を奪い去り、鎖でつながれた生活を余儀無くさせている。彼の服役が正当なものかどうか−その塀の中から聞こえる哀しい歌声を聞いているとはなはだ疑問が湧いてくる。

Longing Forは歌詞全訳はこちらから>>

<2005.1.17〜>< text:Ryo-Hey >





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